【1万字】灯と手の震え:キリスト教学校クリスマス行事参加録2024
昨年公開されたアニメーション映画『きみの色』に、バンドを組んだ高校生たちがいっしょに寝泊まりする場面があります。
雪の降りつもるクリスマスの夜、練習場所の古教会にて過ごす三人。ともされたろうそくの火は、明くる朝まで消されないまま。
見ていて危なっかしいと思ったのは私だけでしょうか。
冷徹な現実を生きる人々がせめてもの願望を託すことのできるものがある。
このことはさまざまな表象文化に広く見いだしうる意義だと思いますが、クリスマス表象にかぎってはこのことじたいが通底する主題のひとつといって過言でないかもしれません。
この火はひとえに暗闇を照らすためのものだと信じることができる。
こうした意味を上記の場面にも読みとることができるばかりでなく、もとよりクリスマスはこのことを覚える日といえると思います。
クリスマス前のおよそ4週間を数多くのキリスト教会がアドベントや待降節などとよんでいますが、私は昨年のアドベントをできるかぎり数多くのキリスト教学校のクリスマス礼拝・その他行事に足を運んで過ごすことにしました。
この投稿はその振りかえりをおこなうものです。
念のため記しておくのですが、こうするのが正しいアドベントの過ごしかただとかいいたいわけではけっしてありません。誤解をおそれずいえば、クリスマス行事のヲタクがレポを書きたいだけです。この投稿にて紹介する礼拝・行事はすべて関係者以外も参加できるものですので、あわよくばおなじようにクリスマス行事に行きまくりたい奇特な人の役に立てばと思います。
投稿者について
どなたがお読みになるかわかりませんから、念のためかんたんな自己紹介を記しておきます。
私はキリスト教学校にのべ10年ほど通った末に、あるキリスト教の教会に通っている会社員です。現在通っている教会には、2024年に行きはじめました。
学生のころ宗教行事に関わったことがあり、それなりに思いいれをもっています。もっとも、キリスト教神学の教育を受けた経験があるわけでもなんでもありません。
お読みになる方には、この投稿はあくまでも素人の感想文にすぎないことをご承知おきいただけたらと思います(本投稿に関するお問いあわせには対応させていただきます。「本投稿に関するお問いあわせ」をご参照ください)。
各礼拝・行事の概要
以下、私が参加した11のクリスマス礼拝・行事の次第を日時の順に略述します。
録画を視聴した立教学院のクリスマス企画礼拝をのぞき、すべて現地にお邪魔しました。
なお、日付はすべて2024年12月です。
敬称は聖職者・教職者の方々を含め「さん」に統一しています。
立教学院 クリスマス企画礼拝
6日(金)
於:立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区)
立教大学池袋クリスマス実行委員会主催の、降誕劇を交えた礼拝*1。
録画を同委員会公式YouTubeチャンネルにて視聴できます。
白百合学園 クリスマス・チャリティ・コンサート
7日(土)
於:白百合女子大学チャペル(東京都調布市)
白百合女子大学セントポール・クワイア、メモリアル・クワイアの皆さんによる聖歌合唱、田上麻里さん(カトリック吉祥寺教会・田園調布教会オルガニスト)によるパイプオルガン演奏など。「すべての人よ」・「しずけき」の全体合唱も。
国際基督教大学 クリスマス演奏会
7日(土)
於:国際基督教大学礼拝堂(東京都三鷹市)
古楽アンサンブル コンチェルト・レオノルソの皆さんによる16世紀ヴェネツィア音楽などの演奏。
青山学院 大学聖歌隊クリスマス奉唱会
14日(土)
於:青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂(東京都渋谷区)
青山学院大学聖歌隊の皆さんによる聖歌合唱、森島豊さん(青山学院大学宗教主任・総合文化政策学部教授)によるメッセージなど。「いま来たりませ」(讃美歌21 229)・「きよしこのよる」(讃美歌 109)・「まきびとひつじを」(讃美歌21 258)の全体合唱も*2。
当日演奏された「神の御子は今宵しも Adeste Fideles」と「聞け、天使の歌 Hark! The herald angle sing」を大学聖歌隊公式YouTubeチャンネルにて視聴できます。
明治学院 コンサートシリーズ 第131回 ≪クリスマス・バロック≫
15日(日)
於:明治学院大学白金アートホール(東京都港区)
半澤朝彦さん(明治学院大学国際学部教授)をはじめとする10名の皆さんによる合奏協奏曲などの演奏。「サンタが街にやってきた」・「きよしこの夜」の全体合唱も。
青山学院 クリスマス礼拝(青山キャンパス)
17日(火)
於:青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂(東京都渋谷区)
礼拝。説教者は朝岡勝さん(日本同盟基督教団市原平安教会牧師)。玉木欽也さん(青山学院大学経営学部教授)・坂上裕子さん(青山学院大学教育人間科学部教授)による聖書朗読、青山学院大学聖歌隊、青山学院大学ハンドベル・クワイア、青山学院大学ゴスペル・クワイアの皆さんによる奉唱・奉鐘、「久しく待ちにし」(讃美歌 94)・「みくにをも宝座をも」(讃美歌 124)・「きよしこの夜」(讃美歌 109)による讃美など。
立教学院 クリスマス物語
19日(木)
於:立教学院聖パウロ礼拝堂(埼玉県新座市)
立教大学新座クリスマス実行委員会によるイベント。斎藤徹さん(立教大学チャプレン)による礼拝、同委員会によるクイズ大会・ビンゴ大会、立教大学公認団体「立教大学劇団志木」(ミュージカルサークル)・「JG」(ダンスサークル)・「立教大学JAZZ研究会」(音楽サークル)によるパフォーマンスなど。
国際基督教大学 燭火礼拝
20日(金)
於:国際基督教大学礼拝堂(東京都三鷹市)
礼拝。説教者は生駒夏美さん(国際基督教大学教養学部長・教授)。「ICU Glee Club」(合唱サークル)による開会唱、「あら野のはてに」・「きよしこのよる」による讃美など。
共愛学園 市民クリスマス
21日(土)
於:共愛学園中学・高等学校大礼拝堂(群馬県前橋市)
キャンドルライト・サーヴィスおよびページェント。キャンドルライト・サーヴィスのメッセージは安部勉さん(日本基督教団高崎教会牧師)。ページェントは「久しく待ちにし」(讃美歌21 231)・「きよしこの夜」(讃美歌21 264)・Hallelujahの全体合唱も。
各礼拝・行事に参加して
以下、まことに恐縮ながら感想になります。
立教学院 クリスマス企画礼拝
今年は「伝統と革新」をテーマとなさっていたそうで、ページェントは現代の学生がYouTubeでこの礼拝の動画を見るといういわゆるメタ構造をとるものでした。せりふも聖書の記述にもとづきつつ、柔軟に脚色されているようにお見うけしました。現代的な翻案はとくに予備知識の少ない方などにとってわかりやすく魅力的だと思います。
降誕物語としては、マリアのエリサベト訪問(ルカによる福音書1章)を含むものを見たのが個人的に初めてで、記憶に残りました。後述する共愛学園のページェントやヴィアトール学園のタブローにも同様のことがいえるのですが、なにを描きなにを描かないかの選択からはその降誕劇がキリストの誕生をどのように描こうとしているかを読みとることができると思います。個人的には、マリアのエリサベト訪問を経由することによってイエスの誕生の予告をめぐるマリアの心情のありさまが印象づけられたように感じました。
白百合学園 クリスマス・チャリティ・コンサート
アドベントに広く歌われる聖歌の演奏にとどまらず、パイプオルガン演奏などもありとても充実したひとときでした。とりわけ白百合女子大学放送研究会の方による聖書朗読には思わず涙してしまいました。
セントポール・クワイアとメモリアル・クワイアはそれぞれ白百合女子大学の在学生の方々と卒業生の方々による聖歌隊だそうで、おそらく年齢の異なるであろう方々が声を合わせていらっしゃったのが印象的でした。加えて、一般公開のコンサートのため、おそらく年齢もジェンダーもさまざまな人たちがステンドグラスから光の差しこむ美しいチャペルに集っていたように思います。「すべての人よ」はテゼの歌として知られる聖歌だと思いますが、こうした場にて合唱するのにぴったりだと思いました*3。
国際基督教大学 クリスマスコンサート
数百年前の宗教音楽の精緻な再演が試みられていたことが印象的でした。16世紀ヴェネツィア音楽では、その中心地だったという聖マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)の構造から、聖堂内の異なる位置から合奏する音楽様式が編みだされたそうです。この技法のために、2階席を擁する大規模な礼拝空間が活かされていたように思いました。
建築家アントニン・レーモンドらが増築を手がけた国際基督教大学礼拝堂は、エキュメニカル運動を背景に建てられた国際基督教大学教会によって使用されるのもあり、装飾を排した造りをしています*4。ここにあってこそ、数百年前の異国のクリスマスを歌い奏でる試みが可能となったのでしょう。時間も空間も超えて、おなじ神を賛美した人々にすこしのあいだ思いを馳せることができました。
青山学院 大学聖歌隊クリスマス奉唱会
表題に示唆されているとおり、聖歌隊の合唱を中心とした礼拝だったといって誤りにはならないと思います。
この日採られた聖書箇所(ルカによる福音書2章1–7節・8–20節)に関する森島豊さんのお話が印象に残っています。徴税のために住民登録を求められる人たちもいたなかで(当日のお話にもありましたが、身に覚えのあるような話です)、夜通し働いていたところにメシアの誕生を知らされ目の当たりにした人々は、「神を崇め、賛美しながら帰って行った」(ルカによる福音書2章20節)」*5。現代にクリスマスを祝う集会をおこなう意義は、ひとつにはこの世へと出て行く前に(森島さんのお言葉を拝借すれば「理屈ではない」ものによって)神を思いおこすことにあるのだろうとあらためて思いました。
明治学院 コンサートシリーズ 第131回 ≪クリスマス・バロック≫
なによりフランチェスコ・マンフレディーニ「クリスマス協奏曲」を聞くことができて感無量でした。第1楽章 Pastraleは「田園風」と訳され、明るく穏やかな曲調に特徴づけられます。大都会の只中でバロック音楽に浸って羊飼いの喜びを覚えたというとさすがに無神経すぎる気もしますが、すべての民に与えられたという喜びのおこぼれにあずかるくらいは勘弁いただけたらと思います。
当日は超満員で、この時代の音楽の人気が窺えました。
青山学院 クリスマス礼拝(青山キャンパス)
イエス・キリストの誕生が闇のなかの出来事として描写されてきたことをあらためて思いだす機会のひとつが、青山学院のクリスマス礼拝でした。文字どおり暗闇に包まれるその空間をもって、「世」の暗さが印象づけられていたように思います。
さらに、この闇を照らしたのは参加者に配布されたキャンドルライトでした。暗闇のなかにあって、私たち一人ひとりに光が与えられている。「地の塩、世の光」をスクール・モットーとする学院の礼拝は、集う者に自身が「光」とされていることを覚えさせるものだったと思います*6。
立教学院 クリスマス物語
この投稿にて紹介するなかで、最も宗教色の排された行事だったと思います。礼拝堂で「かわいいだけじゃだめですか?」を聞くことになるとは夢にも思いませんでした*7。
斎藤徹チャプレンのお話にあったように私たちが一人ではないことを思う機会としてクリスマスを捉えるならば、キリスト教学校にあってもさまざまなお祝いのしかたがありうると知ることができました。Sister Actを見なおそうと思います*8。
国際基督教大学 燭火礼拝
ここですこし、私が最低だという話をします。私は頂き物が得意ではありません。たとえば、食べ物を頂いても食べどきを逸してだめにすることがあります。最低ですね。
この日、「クリスマスの贈り物」と題されたメッセージのなかで生駒夏美さんが「贈り物は「あなたのことが大事です、大好きですよ」という気持ちを伝えるための口実のようなものかもしれません」とおっしゃっていました*9。そうだとすれば、私はいよいよ言いあらわしようのないほどに最低です。贈り物を頂いたなら、それほどに愛されていることをもうすこし真剣に受けとめたほうがいいと考えさせられました。
共愛学園 市民クリスマス
この日のことはいつまでも覚えていたいです。
このたび参加した行事・礼拝のなかで、本物のろうろくを配布いただいたのは共愛学園だけでした。「あら野のはてに」(讃美歌21 263)にのせて入場した大きなろうそくの火を、隣りあう参加者と分けあいました。そして、「グローリア、グローリア」(讃美歌21 38)と「きよしこの夜」(讃美歌21 264)を斉唱することになりました。右手にろうそく、左手に楽譜。続く中学高校ハンドベルクアイアの皆さんによる“The First Noel”の演奏が終わり、ようやく火を消しました。
私はこのときの手の震えを忘れることができずにいます。どこのだれが来場するかわからないにもかかわらずすべての人に火を配ることが可能になるのは、その火がひとえに暗闇を照らすためのものと信じられているからにほかならないでしょう。そう思って私は声を震わせました。
キャンドルライト・サーヴィスのあとに上演されたページェントもまた、記憶に残る時間になりました。ページェントは聖書の記述にもとづく語りによって進行するものです。投稿者の記憶が正しければ、冒頭の語りはクリスマスによく読まれる次の聖句をふまえたものと思われました。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ書9章1節)
*10
共愛のページェントを見て印象的だったことが3つほどあります。
- ジェンダーレスな人物
すくなくとも私は共愛のページェントを通して人物のジェンダーを同定する意図をほとんど感じませんでした。ACジャパンみたいなことをいうのですが、降誕物語の登場人物のジェンダーをどのように考えるかは議論が分かれるところだと思います。マリアとエリザベト以外全員男性だと思っていた人が共愛のページェントを見れば考えさせられることがあるかもしれません。
- 絞りこまれた舞台装置
約1,500名を収容するという大規模な礼拝堂を舞台としながら、共愛のページェントの装置はとても控えめなものでした*11。背景幕も緞帳も使われなかったように記憶しています。ついさっきまで礼拝をしていた場所で、イザヤが預言を告げはじめるのです。
逆説的かもしれませんが、このことによりかえってキリストの誕生の次第を理解しやすくなっていたように思いました。もちろん二千年前のパレスチナを忠実に再現することによって理解することも考えられますが、上述のように降誕劇の究極の目的が賛美にあるとするなら、ベツレヘムがどういう景色だったかを強調する必要はないと考えることができるかもしれません。
むしろ限られた演出からこそ読みとりうることもあると思います。共愛のページェントでは天使ガブリエルがマリアにイエスの誕生を予告するさいに白い花(おそらくは百合)を手わたすさまがみられました。キリスト教文化において白百合はさまざまに意味づけされてきた花だと思いますが、それを知らずともマリアにたいする祝福を読みとることができる演出だと個人的には思います。
- バランスある語り
ページェントは聖書の記述にもとづく語りによって進行しましたが、新共同訳の訳文に準じつつ部分的にわかりやすく改められていたことと思います。
降誕劇の語りは、とりわけ無言劇の形式をとる場合、聖書を朗読するのみでは難解にすぎ、聖書の記述を離れてはその趣旨を逸脱するというジレンマを抱えやすいと個人的な経験から感じてきました。共愛の語りではこのジレンマが巧みに克服されているように思いました。
総じて共愛学園の市民クリスマスは、洗練されているだけに限られた表現が強く印象に残る行事でした。
ヴィアトール学園 クリスマス・タブロー
名は体を表すとはこのことだと思いました。
上述のとおりタブロー(tableaux)は「活人画」を意味していますが、ヴィアトール学園 洛星中学・高等学校のタブローはまさに絵画のような視覚的な美しさに特徴づけられるように思います。
洛星のタブローで印象的だったことが3つほどあります。
- 寡黙にして饒舌な聖書朗読
洛星のタブローは共愛のページェントと同様に聖書朗読によって進行しましたが、洛星では新共同訳聖書の訳文からほとんど改変されていないようにお見うけしました。一方で、その読み方はとてもドラマティックに感じられるものでした。とくに、「どうして、そのようなことがありえましょうか。」(ルカによる福音書1章34節)や「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(同2章14節)といった台詞が地の文と明確に区別されているように感じました*12。聖書の解釈を朗読文じたいよりもその感情豊かな読み方によって手引きいただいたように思います。
朗読文そのものに焦点を移すと、第1幕「かつての預言」にて、異なる箇所(イザヤ書9章1–6 節・民数記24章17節・イザヤ書11章1–10節)から朗読文が採られていたのを興味深く思いました。これらの箇所はいずれもメシアの到来を告げるものと解釈されることが多いと思いますが、このうち民数記24章17節はバラムという預言者によるものとして記述された箇所です。それらが洛星のタブローではあわせて朗読されていることになります。
- 絵画的な演出と舞台装置
この降誕劇を「活人画」たらしめるために中核的な働きをしていたのが演出と舞台装置だったといえると思います。
まず、洛星のタブローのキャストの方々はせりふを発することもないのですが、動作もきわめて限られていました。なかでも第4幕「マリアとヨセフ」や第7幕「星天使」においては動作がまったくありませんでした。
このことによっていっそう映えて見えたのが、舞台装置の美しさです。洛星のタブローでは幕が移ろうごとに緞帳「種まく人」が下げられ、旧宝塚大劇場と同じ広さという大舞台に色とりどりの舞台装置がかわるがわる据えられていました*13。とりわけベツレヘムの星が燦然と輝いていたのが印象的でした。
- 幼児虐殺
今年見た降誕劇でヘロデ王による幼児虐殺(マタイによる福音書2章16-18節)に触れていたのは洛星のタブローだけでした。しかも、たんに幼児虐殺に触れるのみならず、聖書朗読が当該箇所に至るや否や音響効果と照明が切りかえられ、朗読もかなり語気が強められていました。
ヘロデは……人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。(マタイによる福音書2章16節)
総じて洛星のタブローは雄弁さの際だつ降誕劇でした。
同志社 クリスマス・イブ礼拝(今出川校地)
同志社のクリスマス・イブ礼拝に参加して最も印象的だったのが、与えられた言葉の豊かさです。
まず、聖書箇所は類稀な多さでした。イザヤ書9章5・6節、ルカによる福音書1章26–38節、ルカによる福音書2章1–7節、同2章8–14節、マタイによる福音書2章1–12節(以上すべて新共同訳)。一度の礼拝で預言が与えられ、天使ガブリエルによってマリアにイエスの誕生が予告され、ベツレヘムでイエスが誕生し、羊飼いのもとに天使が現れ、占星術の学者たちがヘロデ王とイエスのもとを訪れます。さながら降誕劇の聖書朗読のようです。
菅根信彦さんによる説教も、キリスト教とかならずしも関係しないものを含む数多くの知見を手がかりに二千年前のベツレヘムを照らしたとされる「星」を紐とくものでした。全体として多くの言葉を与えられた礼拝だったと振りかえるものです。
同志社礼拝堂は1886年に創建されたそうですが、2013年までに改修がおこなわれており、とても過ごしやすい空間でした*15。
総括
私にとって2024年は、かねてからずっと目の前を照らしていた灯の置かれた燭台を手にすることを志した年でした。ここまでにも記してきましたが、灯を手にするのはこわいことです。私はすべてにおいてとても褒められた人間でもないので、燭台にふれる資格もないと考えていました。それでもすすんでふれていたいと思ったのです。
2024年のアドベントを通して、燭台を支えている数多くの人たちに接することができました。ルカによる福音書2章に、羊飼いたちからメシアの誕生を知らされた人々は「不思議に思った」という記述がありますが、日本社会においてクリスマスだからといって教会に足を運ぶ人は少数派に違いありません(2024年のクリスマスには内閣総理大臣がキリスト教の礼拝に参加していましたが)*16。少数派の方々に接していて最も感慨深かったのは、居場所は異なれどみなおなじ燭台を支えているとの確信を深められたことでした。お読みいただいたとおり今年はあえて教派にこだわらずにいろいろな学校のクリスマス行事に参加しましたが、参加するたびに他の行事との類縁性に気づかされました。ともすると不思議に思われかねないおこないをそれぞれの場において実践なさっている方々がいらっしゃると知ることのできた4週間でした。新しい日々を始めた2024年の締めくくりにふさわしい過ごしかたができたと思います。
最後に、クリスマス行事・礼拝に関わられた皆さんに感謝したいと思います。一つひとつの行事・礼拝に参加するたび、闇のなかに与えられたという光を思いおこすことができました。
私はキリスト教行事に関わったとき、思いどおりに事を運ばせることができなかったと感じることが少なくありませんでした。もしかするとおなじようにお思いになった方もいらっしゃるかもしれません。そうした方に僭越ながら申しあげるなら、たとえ失敗したと感じられていてもきっと行事の目的は果たされていますから、かならずしもお気になさる必要はないとまことに僭越ながらお伝えしたいです。掛けがえのない時を共にさせていただき、ありがとうございました。
以上、キリスト教学校クリスマス行事参加録でした。
本投稿に関するお問いあわせ
本投稿の内容に関するお問いあわせがございましたら、以下のフォームよりご連絡いただきますようお願いいたします。
*1:降誕劇(Nativity play)は、新約聖書に記されたイエス・キリストの誕生の次第を演じる劇。生誕劇、聖誕劇、クリスマス・ページェントなどとも。この投稿では原則として降誕劇と表記しています。
*2:『讃美歌』・『讃美歌21』は日本基督教団讃美歌委員会による讃美歌集。それぞれ1954年・1997年日本基督教団出版局発行。
*3:テゼは、1940年代末にフランス東部の同名の村にておこったエキュメニカル(超教派)な信仰共同体。短い歌詞を反復して歌唱する祈りの形式に特徴づけられます。「すべての人よ」の歌詞は「すべての人よ 主をたたえよ」と繰りかえすものです。
*4:エキュメニカル運動は、キリスト教諸教会の教派を超えた協力を図る運動のこと。
*5:引用部分は次によっています。日本聖書協会,2018,『聖書 聖書協会共同訳』,日本聖書協会.
*7:「かわいいだけじゃだめですか?」はアイドルグループ「CUTIE STREET」の楽曲。当日「JG」の皆さんがパフォーマンスなさいました。
*8:Sister Actはエミール・アルドリーノが監督を務めた映画。日本語版のタイトルは「天使にラブ・ソングを…」。当日の「立教大学劇団志木」の皆さんによる演目に同映画の挿入歌”Take Me to Heaven (Reprise)”がありました。
*9:文字起こしは投稿者によっています。
*10:引用部分は次によっています。共同訳聖書実行委員会・日本聖書協会,1987,『聖書 新共同訳』,日本聖書協会.
*11:共愛学園中学・高等学校の礼拝堂に関してはこちらを参照。
*12:*10におなじ。
*13:洛星中学・高等学校のヴィアトール講堂に関してはこちらを参照。
*14:*10におなじ。
*16:ルカによる福音書2章では、羊飼いはメシアの誕生を天使を通して最初に告げ知らされた人々として描かれています。引用部分の出典は*5におなじ。